2012年2月17日金曜日

フィリピンも異常気象(その2)

2月16日、乾季の真っ只中の大雨だった。午後から客とPRAへ向かうと、あたりは夕方のように暗くなり、強い雨が降ってきた。2時間ほどで雨は小ぶりになったものの、パソンタモは20cmほど冠水して、車は恐る恐ると走っていた。たしかに6月~11月の雨季には日常茶飯事の光景だが、乾季の12~5月はめったに見られない光景だ。今日に限らず、今年は乾季にしては雨が多く、どう考えても異常気象としか考えようがない。  ユーロ圏のギリシャ支援の紆余曲折、イタリアのオリンピック開催立候補の辞退、日本の休眠口座の没収(活用)やマイナンバーによる所得や資産の管理、アメリカの中国への接近と軍事拠点の中国包囲網構想、などなど、今まで耳にしたことのなかったニュースが連日報道されている。あきらかに大きな歴史の変化あるいはうねりの兆候だろう。それと、この異常気象がどのように関わってくるのか定かではないが、3.11のような自然災害が人類の歴史を変える力を持っている事は明らかだ。









 こんな世界の動きにかまわず、ここマニラではコンドミニアム建設の槌音が絶えない。高層コンドミニアム建設の波は、マカティの中心街から一歩外れたブエンディア通りの外側に広がり、SMやアルファ・ランドなどの巨大なコンドミニアム群とショッピングセンターが出現しようとしている。マカティ市街地の拡大、オルテガスやボニファシオ・グローバルシティなどの副都心の発展など、メトロ・マニラ首都圏は膨張の一途をたどっている。

 自然と共生してきた数千年前までの人類は、3.11あるいはそれ以上の自然の力に柔軟に対応できたであろう。しかし、このような巨大な構造物を作り上げてしまったら、近い将来、3.11をはるかに上回る地球規模の洪水や地震(ないし地殻変動)で、そこには、巨大な廃墟が残るだけだろう。人々はなけなしの財産をはたいて、まるで猿の惑星に出てくる廃墟作りに邁進しているとしか私には思えない。

KIANはToy Storyに夢中

今や、一人一台にまで普及したテレビやパソコン(ないしテレビゲーム)だが、その影響は1歳児に対しても例外ではない。ヤヤ(子守)が退屈しのぎにテレビを見るので、KIANも一緒にテレビを見ることになる。そしてはじめたのが、このパーフォーマンスだ。音楽がかかると床に寝転んで片足をあげる、きっとテレビのダンサーの真似をしているのだろう。
 さらにブルース・リーの空手のテレビを見ると、自分もブルース・リーになった気分でママを相手に空手の試合だ。時にはテレビに向かってもブル-ス・リーの敵に戦いを挑む。また、興奮するとテレビに向かってものを投げつけたりするので、ママはテレビが壊れるのではないかと気がきではない。2歳にもならない子供にとっては現実もテレビ中の出来事もも同じなのだ。











 先日韓国料理に招待された際も、湯気の立つ鍋をフーフーしたり、床に寝転ぶパーフォーマンスを見せたり大忙しだった。











 KIANにとってパソコンを操ることはまだまだ無理だが、パソコンの前に座ってマウスをいたずらすることは大好きだ。あまりありがたいことではないが、テレビゲームに夢中になる日も近いだろう。

 ところで、最近夢中になっているのがToy Storyだ。このアニメに出会ってから、すでに30回以上は見ている。昼も夜も繰り返し見ているので両親もヤヤもテレビの番組を見ることができない。テレビの画面を指差してToy Storyを映写することを要求して、そして歓声をあげながら、夢中になって見ている。どの程度理解しているか分からないが、主人公のカーボーイWodyになりきっているようだ。その間、ヤヤは他の仕事ができるのでありがたがってはいるが。











 この時ばかりはヤンチャなKIANも大人しく真剣にテレビを見つめている。もちろん英語なので会話は理解できないだろうが、そうこうしているうちに英語も理解できるようになってしまうのだろう。




























 ところで最近、KIANがテレビのビキニ姿のダンサーの踊りを見ているときだった。KIANがママにオチンチンを指差して何かしきりに訴えていた。踊りを見ているうちにオチンチンがが固くなってしまったのだ。KIANにとっては何が自分の体に起きたのか理解できない。ママはおさまるようにフーフーをしてやったのだが、女性の裸をみてオチンチンが勃起するという、動物のオスとしての本能を2歳に満たない子供が発揮したのだ。ちなみに犬は1歳で子供を作り始めるから、別に驚くほど早いわけではない。一方、KIANは多少オカマの気があるのではないかと心配していたが、しっかりと男のようで安心した。

2012年2月16日木曜日

2月14日のバレンタインは赤いバラ

朝、食卓の上においてある赤いバラの花束を見て、今日はバレンタイン・デイであることを思い出した。これは、カーネルがマム・ジェーンに買ってきたものに違いない。

 女性がチョコレートを意中の男性にプレゼントするのは日本だけで、海外ではもっぱら男性が赤いバラの花を女性にプレゼントする。この場合、意中の人、というよりも恋人や妻など釣った魚へのえさとしてプレゼントする。これをしなかったら、翌年のバレンタインが来るまで、口をきいてもらえなくなるから、男性も必死だ。したがって、この日、バラの相場が跳ね上がるのは当然の慣わしだ。
 朝方、やけに血糖値が高いので、クリニック、PRA、銀行などの用事を歩いて済まそうと思った。アヤラ・アベニューのはずれにある消防署の近くまで来ると大きな花屋が開いている。もちろん売っているのは赤いバラの花だ。消防自動車の赤に赤いバラ、その辺一体は真っ赤だった。

 私が40代で現役のころ、バレンタインの日に大量にバラの花を仕入れて、あるカラオケ店のお姉ちゃん全員に配ったことがある。義理チョコならぬ、もてたい一心のいわば義理バラだ。しかし、義理バラという概念はフィリピンにはなくて、あくまでも一発必中の本命バラしかない。もちろん花束は大きければ大きいほどよくて、フィリピン男性は、この日、数千ペソの大枚をたかがバラにつぎ込むのだ。











 14日のマニラ新聞はカラオケのコマーシャルでにぎわった。単身赴任の一人身でガール・フレンドもいない寂しい日本人駐在員に、この日だけのにわかガール・フレンドを提供しようという魂胆だ。私も、こんな夜を一人で過ごすのも寂しいと、おなじみのAsianに向かった。9時ちょっと前に入ったのだが、客は私一人でがらんとしている。妻もガールフレンドもいなくて、こんな日に、こんなところにやってくるのは私くらいのものから、ちょっと寂しい思いもした。










 それでも9時を過ぎると段々にぎわってきて、馴染みのY子さんを呼んでみたが、休んでいる。こんなかきいれどきに休むなんて、どう見ても本命の彼氏とのデートに違いない。ところで、普段仲良くしている彼女がいるとして、自分が本命かどうかは、この日でわかる。いくら誘ってもデートに応じなかったり、何やかやと言い訳を言ってデートに来なかったとしたら、本命の彼氏が別にいると思って間違いない。バレンタイン・デイは本命の彼氏と過ごすのが鉄則なのだ。もし、この日にデートしそこなったら、その彼女はあっさりあきらめたほうがいい。

2012年2月14日火曜日

フィリピンに認知症はいない?

昨年、認知症のお母さんの退職ビザを取得された方がいた。そのとき、認知症患者の世話が日本では大きな社会問題となっているが、フィリピンではどうなのか、という話になった。そうしたら、マム・ジェーンは「フィリピンには認知症はいないのよ、なぜならその前に皆死んでしまうから」と、こともなげに語った。なるほど確かに認知症のことが話題になったこともないし、見かけたこともない、そもそも年寄りをあまり見かけない。その一方で、うじゃうじゃというほどガキがたくさんおり、街は若者であふれ、うろついている年寄りは我々外国人が大半だ。

 いかにもかわいらしいKIANの寝姿。赤ん坊は無邪気なだけだが、周囲をとりこにする力を持っている


 フィリピン人の平均寿命は50歳代だというから、確かに長生きをする人は少ないのだろう。したがって認知症患者もいないのだ、となんとなく納得したが、その話を医者にしたら、そんなはずはないという。フィリピンにも年よりはたくさんいるし、平均寿命が短いのは幼児死亡率が高いからだ。そして日本と同等の割合で認知症患者はいるはずだという。しかし、フィリピン人から、親が認知症で苦労した、あるいは苦労している、という話を聞いたことがない。そこで思い出したのが、ジェーンのお父さんの晩年の話だ。彼は下の世話を娘にさせながらタバコが欲しいとねだる。そこで娘は枯葉をまいて火をつけて与えたら、おいしそうに吸っていた、などと笑いながら話していたことがある。話からすると、彼は明らかに認知症だったはずだ。

 何が悔しくて泣いているのか、床に伏して思いっきり泣き叫ぶKIAN、こうなったら手がつけられない



 しかし、フィリピン人は子育ても同様、肉親の老人の世話できることが幸せであり、役目だと思っている。自分を育ててもらった親の面倒を見ることは自分の子供の面倒を見るのと同様、当然のことで、家族の一員として当たり前の役割なのだ。人間誰しも老いて赤子に帰っていく。これから育って大きくなっていく赤子と、これから小さくなってなくなっていく赤子がいるだけのことだ。だからフィリピン人は認知症の親の面倒を苦労とはとらえない。










 思い通りに行かないと泣き叫んで思いっきり不満を主張するKIAN。周囲が何を欲しているか分からなかったり、状況がそれを許さなくてもお構い無しだ

 ならば、日本では何故社会問題となってきているのか。昨今の核家族化で認知症の親を面倒見るだけのゆとりが日本の家族にはない。だから、介護施設や病院に入れることになる。住み慣れた家や家族から引き離された認知症の老人は凶暴化したり、症状が悪化する。介護施設でも厄介者扱いで、挙句の果てにベッドに縛り付けるなどということがまかり通る。一方、家族に囲まれて住み慣れた家に住むフィリピンの認知症のお年よりは、穏やかで家族のお荷物にもならない。単に、最近物忘れがひどくてぼけてきた、程度なのだ。だからまるで赤子のように可愛くて愛される存在なのだ。  この誕生ケーキは私のものなのだが、そんなことはお構い無しにろうそくの火を吹き消そうとするKIAN。赤ん坊は何をしても許される。老人も同じことのはずだ。


 KIANの成長を見ていると、赤ん坊は、実にわがままで野蛮とさえ感じる。自分の思い通りにならないとすぐに泣き叫ぶ、むやみやたらにものをいじくりまわして壊す、小便も糞も垂れ流しだ。朝も昼も夜もなく、泣きわめいて親を困らす。それでも周囲の大人はKIANの一挙一同に歓声をあげて喜び、いつくしむ。何の知識もなく本能の赴くままに分けの分からない行動をとる赤ん坊を、人は決して認知症とは呼ばない。赤ん坊なのだから、当たり前なのだ。一方、同じような行動をする認知症のお年寄りも、年寄りなのだから、フィリピンでは当たり前のことなのだ。













階段の途中から下で執務する私に微笑んで手を振ったり、傘をさしてみたり、少々人間的な行動を取り始めたKIAN。その一挙一動が注目と賞賛の的だ。

 フィリピンでは認知症を病気ととらえず、自然の老いととらえる。一方認知症になったとしても家族に囲まれているので、あえて患者呼ばわりされるような状況には陥らない。要は、認知症を病気ととらえて治療するとか入院させるとか、そんな発想はフィリピンにはなくて、一人の人間の誕生から死に至るプロセスの一環として捉えているのだ。フィリピンに認知症はいない、ではなくて、フィリピンに認知症患者はいない、なのだ。 手にするものは何でも携帯と捉えて耳に当てて意味の分からないことをしゃべっているKIAN。年寄りが同じ事をしたら、認知症だとして大騒ぎになってしまうだろう。

旧正月のマニラ見物

1月23日(月)は旧正月(チャイニーズ・ニューイヤー)でフィリピンは祝日だったが、チャイナタウンでは、1月27日(金)になっても、まだまだ旧正月の真っ最中だった。この日の午後は、2組の客を案内してそんなマニラ見物を行った。

 まずはじめは、イントラムロスのスペインの街だが、世界遺産のサン・アガスティン教会では、偶然にもミリタリースタイルの結婚式に出くわした。もう少し粘って花嫁の登場を見物したかったが、これからチャイナタウン、グリーンヒル、ボニファシオ・グローバル・シティなどを回るという強行軍だったので、あきらめることにした。

 支配者階級であったスペイン系の住民の信仰を集めたサン・アガスティン教会とは逆に庶民の信仰を一手に集める、チャイナタウンの一角にあるのがキアポ教会だ。毎年、1月9日のフィエスタには100万人の人が集まるという。この日、金曜の午後とあってか、教会へ向かう参道、そして教会の周囲は人であふれかえっていた。教会の全面は人々が整然と列をなし、次のミサの順番を待っている。
 いつもならばブラック・ナザレのキリスト像を見物するのだが、あまりの人手その場を立ち去るだけで大変の労力を要した。教会前面の右手にはたくさんの占い師(Fortune Teller)がテーブルをおいて店を構えている。






















 LRT高架鉄道のカリエド駅を過ぎるとサンタクルス教会へでる。そこからビノンド教会までオンピン通りがチャイナタウンの中心だ。サンタクルス教会の入り口には旧正月の飾り物がたれているあたりは、あまりものにこだわらないフィリピン人のおおらかな性格によるものだろう。まさにサリサリでハロハロの世界だ。


オンピン通りには金屋と漢方薬屋、それに中国の飾り物を売る店とレストランくらいしかないと思うくらいだが、旧正月の期間は干支の辰の人形とお持ちを売る屋台が目立つ。さらに干支にちなんでドラゴンフルーツ(赤いサボテンの実)を売っていた。ドラゴンフルーツのとなりに並んでいる黄色い果物は誰に聞いてもわからない(私はあのサプリとして有名なノニの実ではないかと思うのだが)。
























 この日の締めは中華料理。定番のマカティ、ジュピター通りのルートン・マカオで食事をした。一回の食事で2回満足できるのが売りだ。食べてみて、美味しくてびっくり、そして勘定書きを見て、安くてびっくりの2回だ。

いつも同じメニューを注文するのだが、この日はマム・ジェーンの注文でKIANへのテイクアウト用にチキンのから揚げを注文した。料金は5人で飲み物も入れて2000ペソ足らず、一人400ペソにも満たなかった。日本なら合計で一人分の料金だろうとため息がつく。 
























2012年2月12日日曜日

プエルトガレラ ホワイトビーチ訪問

1月23日(月)はチャイニーズ・ニューイヤーで休み。この3連休を利用して、プエルトガレラに滞在している友人から誘われていたホワイトビーチに出かけた。サバンは何度も行ったことがあるのだが、ホワイト・ビーチは今回が初めてだ。プエルトガレラまでの道のりは前回詳しく報告したので割愛するが、マニラの南の高速道路SLEXとバタンガスまでのSTAR高速道路がつながっており、1時間45分でバタンガスピアに到着した。バタンガスポートからはホワイトビーチ行きの直行の船と、プエルトガレラまで行って、ジープニーでホワイトビーチまで行く方法があるそうだ。船は頻繁に出ているので、到着したらすぐに出航する船会社を選んで乗るのがよい。足代としてはマニラから一人往復1000ペソを見込んでおけば十分だ。

 朝7時のバスに乗ったので、10時過ぎにはホワイトビーチについてしまった。そこはサバンに比べて大きなビーチが一つだけで、ゆったりとしている。一見、何もなさそうだが、船はビーチリゾートが立ち並ぶ繁華なエリアの端に到着するのだ。ここから先は今後の開発のために確保してあるらしい。












 ボート乗り場から西に進むと海岸線に沿ってレストランやおみやげ店が立ち並び、サバンよりも繁華なくらいだ。特に刺青やさんがやたら目に付く(これらは休暇中に楽しむだけのにせの刺青とのこと)。今日は3連休の初日とあって、普段に比べてかなり混雑しているとのこと。友人の話によると、こんなことは、数ヶ月前に住み始めてから初めてのことだが、3月~4月の夏休みシーズンになるとやはり混みあうらしい。





















 ホワイトビーチの中心あたりからプエルトガレラ港行きのジープが出ているが、その辺には大型のホテルがひしめく。ホテル代は一泊1500~3000ペソ程度、私が泊まったホワイト・ビーチ・ロッジというホテル1500ペソだったが、ダブルベッドが二つおいてあって、二人で泊まるのなら十分な広さだ。これがピークシーズンになると2000~2500ペソくらいにはねあがるらしい。










この日は、韓国からの50人くらいの学生の団体が泊まっていたが、日本人などはほとんど見かけない。韓国人経営の大型ホテルもある。ホワイトビーチからちょっと入ると地元の街があるが、サバンに比べて平地が多く、人口も多いようだ。夜のお楽しみはサバンに比べて大分地味のようで、夜遊びがしたいならジープニーでサバンまで出かけていくことだ。 











 さらに西に行くと海外沿いに街がある雰囲気で広々とした海岸には物売りやマッサージの商売が繁盛している。












 ホワイトビーチの西のはずれに行くと、ビーチが一望できて、ボラカイほどではないにしても1kmは優にありそうだ。砂は白いというよりも少々薄い茶色に近いが、これもボラカイとは比較にならない。しかし、マニラから遊びに来るには手ごろだ。












 このビーチの特徴として、バナナ・ボートやジェット・スキーが盛んで、砂浜近くで走り回っているので、ちょっと危険なのではないかと心配にさえなる。バナナボートは一人200ペソ、パラセーリングが二人一緒に飛んで2000ペソ、ボートをチャーターしてアイランドホッピングが2000ペソ程度だ。しかし、ダイビング・ショップのお店に聞いたら1.5倍くらいの値段だったので、個人的に客を探しているボート・マンなどに直接交渉するのが安く済ませるこつだ。





















 ここの名物料理は魚、イカ、チキンなどのバーベキューで安いところはなんでも一つ100ペソで、4人でたっぷり食べて、飲み物も入れて、1000ペソで十分お釣りが来た。前回高いと思ったサバンに比べて、ここは物価が安いようだ。夕陽を眺めながら海岸に並べられたテーブルで焼き立てのバーベキューをビールを飲みながら食べるのは格別なものがある。